小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド四日市ガルボ その2

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2020年7月24日撮影(以前に建屋が建っていたであろう場所にて)

 

「そこで働く社員やスタッフにとって大きな負担」であった具体的な要素として、以下のようなものがありました。

 

セガカラ屋の存在

当時のセガが通信カラオケ事業を手掛けており、また有り余る店舗面積を埋めるために展開された「セガカラ屋」ですが、一般的ゲームセンターは風営法の営業時間規制で夜間は24時にて閉店するのに対し、セガカラ屋は建屋が同一とはいえ入口を別個に設けて風営法の対象外としていたこともあり、平日は25時(翌日午前1時)、週末や祝前日は29時(翌日午前5時)までが営業時間となっていました。

そのため、24時まで営業のゲームセンターにおける「早番(9時出勤)、中番(12時出勤)、遅番(17時出勤)」のシフト体系に加えて追加してカラオケが29時まで営業する日には「深夜番(20時出勤)」というシフトが存在。それを4人の社員で廻すのですが24時間操業の工場3交代勤務と大差ない勤務体系を強いられました。

しかも特にカラオケは慢性的なアルバイトスタッフ不足に見舞われており、特にピークタイムである週末の20時~24時付近で対応する人員を補うため、おおよそ早番や中番の社員が定時終了後フォローする状態が慢性化していました。9~24時程度の勤務はまだ体力があった当時は乗り切れましたが、今の年齢では到底対処出来る自信はありません。

 

また、カラオケは飲食を提供していたため厨房を備えており、調理及び客室への提供は社員及びスタッフが対応します。週末の夜間が忙しくなるのは結局飲食オーダーに対応する必要があるからで、前述した長時間勤務の要因になることもさることながら、ゲームセンター勤務における業務としては通常求められない調理作業や食材の仕入れや管理といった業務が発生しますが、専属の社員はおらず全てゲーム側と兼任して対応にあたる必要がありました。通常の店舗と比べると明らかに高い負荷を求められていました。

 

②慢性的スタッフの不足

ゲーム部分の規模はホリデイスクエアと大差なく、かつカラオケを抱えていたため、前述のように社員は総勢4人配置されていました。ホリデイスクエアは3人だったのですが、契約社員2名が在籍していたため実質5名体制で、かつアルバイトスタッフも充足していたため「人出不足」になる状況には殆ど遭遇しなかったのに対し、工業地帯が近く学生バイトが少ない地域でもともとスタッフの充足が難しい場所だったことも手伝い、ゲーム、カラオケ共に慢性的に人員が不足していました。

それに加え元テーマパークであることが起因する高い固定費負担のため、人件費に大きく予算を割けないことからスタッフを必要以上に抱えることが出来ないという構造的問題も抱えていました。

 

そして、慢性的な人員不足がもたらしていた副作用として「社員とアルバイトスタッフ間の関係」があります。スタッフが少ないと店舗を廻すために社員はどうしても既存スタッフに対して下手にならざるを得なくなり、一部には社員に対して高圧的な態度をとる者もいました。また協力してくれるスタッフに対してもその負荷に対して充分に報いているとは決して言えず、その状態が続いていることでスタッフが店舗運営に対して不満を募らせていることがはっきりと伝わってきました。

 

➂高い固定費がもたらすもの

いくら店舗運営に関する固定費が通常の店舗より高いといっても、それを理由に赤字となることは企業である以上は許してくれません。

必然的に売上を大きくするしかないわけですが、1990年台後半のコナミ音楽ゲーム全盛期において、セガコナミのゲームを店舗に導入出来ない環境でした。この状況は20年経過した現在においても大きくは変わっていないのですが…

そうなると結局は一般層がプレイするプライズゲームメダルゲームで売上向上を図ることになるのですが、特にプライズについては短期的に売上を増加させるため不人気な景品ブースの即入れ替えを続けていた結果、倉庫となっている2階部分に不人気景品として外された在庫が多数積み上がり放置されていました。

店舗の管理システム上に在庫として残っている以上、いずれは処理しなければならない訳ですが、プライズ機へ投入すれば売上が下がり、またサービス台のような形で放出すれば経費が嵩んでしまうため処理が先延ばしにされ続けていたのです。

 

一方ゲーム機においては、機器償却費が高い新機種を次々と導入は出来ないため、他店と機械をローテーションして目先を変えたり、倉庫在庫を引っ張ってきたりするのですが、その中には日本で数える程しか製造されなかった「セガ、ルーレットクラブDX」などという機械も含まれていました。

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セガ・ルーレットクラブDX パンフレット:画像はヤフオクから転載)

 

ゴージャスな見た目ですが内容はただのルーレットなのでゲーム性は乏しく、またセンサートラブルでしょっちゅうエラーを出し停止するため、製造台数も少なく倉庫に眠っていたのもさもありなんというタイトルだったのですが、少しでも店舗に変化を与えるためには手段を選んでいられない状況でした。

 

 

また、当時の店舗社員は基本的に会社が契約している住居へ入居するのですが、私と入れ替えになる前任者が使用していた住居がとてつもなく汚く、台所さえも土足で入らなければならない有様だったため、前任者が部屋から荷物を完全に撤去するまで私は自分の荷物を運びこめず、営業所倉庫に一時保管しなければなりませんでした。豊橋の時とはうって変わって仕事も私生活も過酷な状況となり、「とんでもない場所へ来てしまった」との思いを持たざるを得ませんでした。

 

その3へ続きます。