小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その2

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2019年5月4日撮影(キャノン最前線移転後、建物2階)


キャノン最前線は、1階入口を入ると階段かスロープで店内奥が低くなっていた構造と記憶しています。筐体台数は少数の大型筐体ものも含めてテーブルメインでおそらく30〜50台程度だったでしょうか。

そして、すぐ隣(同一の建屋内)にICマッハという別のゲームセンターがあり、こちらも同じようにテーブル筐体中心のラインアップでしたが、キャノン最前線がゲームファンに支持されていたのに対し、IC マッハは完全放置で店舗の雰囲気や客層も悪く、ある意味上手く客層の棲み分けが出来ていました。

 

ただ、同じ建物内であったことが災いしたのか、キャノン営業中に機器の電源が突如落ちるなどICマッハからの嫌がらせのような事態があったとの噂を聞き及んでおります。それが直接的な原因であったかは定かではありませんが、キャノンは直ぐ隣の雑居ビル2階へ移転することとなります。

 

キャノン移転後、ICマッハは特に店舗の運営は変わらず、正直寄り付き難い雰囲気のまましばらく営業を続けていましたが、現在は建物ごと取り壊され写真のような駐車場に。

 

そして隣のビルに移転したキャノン最前線ですが、店舗面積は移転前よりも狭くなってしまいました。少数ですが存在した専用筐体タイプのタイトルは無くなり、テーブルタイプオンリーとなります。

 

私が名古屋から離れたのが1991年、再度戻ってきたのが1995年なのですが、1994年頃に閉店してしまったようなので、移転期間は丁度私が名古屋を一度離れた時期と重なるようです。移転後の店舗にも1,2回程度しか足を運んだ覚えがなく、その時のぼんやりとした記憶と建物の形状から推察すると、格闘ゲーム対戦台を対面にて設置するのは厳しかったのではないでしょうか。やむを得ないとはいえ対戦格闘ゲームブームという時流に乗れなかったであろうことが閉店を速めた要因だったのかもしれません。

 

そして、キャノン閉店と前後していりなかに新たな店舗としてオープンしたのがオレンジペコティンクルスタースプライツのエントリーでも述べましたが、私が本格的にいりなかへ通いだすようになるのはオレンジペコのオープン後になるのでありました。

 

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また、キャノン最前線というお店は、いりなか以外に2駅隣の御器所、そして愛知県は岡崎市にも店舗を構えていました。そちらはまた機会があれば紹介したいと思います。

 

その3へ続きます。