小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 スコアラー不遇の街大宮 その5

4.大宮駅付近の大型店舗内

ショッピングモールや百貨店・大型スーパー内にあるゲームセンターと言えば、今でこそファミリー向けの機械構成で、ゲームファンはあまり寄り付かない場所ではあるのですが、80年代はどうだったのかというと当時からお子様向けの乗り物やエレメカ等が多かったとはいえ、普通にビデオゲームも設置されており、大型店内では治安的な不安要素も少ないことから結構ゲームを遊びに行く選択肢となり得る場所でした。

 

大宮はその場所柄多数の大型商業店舗が軒を連ねており、特に小学生の頃はゲームを遊びに行く目的で向かうことも多々。しかし老朽化した店舗から閉店や撤退が進み、また新規でオープンする施設は最初からゲームセンターが無い店舗も増え、今では当時を窺い知れる場所は一つも残っていません。

 

高島屋大宮店

 現在大宮駅東口に残る唯一の百貨店。テナントこそ変わっているものの建物自体は40年以上前から変わっていません。

屋上に昔はペットショップと屋上遊園があり、屋外には乗り物系が、建屋内にはパチンコ等子供向けの機械が設置されていましたが、ビデオゲームについては置かれていた記憶が殆ど無いため、当時から典型的な家族向けの施設だったと思います。今はゴルフ練習場となっています。

 

西武百貨店大宮店

 こちらも高島屋同様40年以上前から店舗を構えていた大宮駅東口の代表的百貨店でしたが、後にloft大宮店となりました。結構振るわっていたと思いますが、建物の耐震強度問題で閉店。「ついに周囲も含めて再開発が実施されるのか!」と思ったのも束の間、建物はそのままでパチンコ店をキーとした現在の姿となりました。西武百貨店が後述するそごうと共にセブン&アイグループになったことで大宮に2店舗を構える状況になったため、古い方の旧西武百貨店側を切ったというのが真相なのではないかと思います。

屋上にこちらも遊園地があったらしいのですが、正直全く行った記憶がありません。むしろ5階にあった鉄道模型売り場にいつも入り浸っていたことの方が記憶に残っています。

 

③中央デパート

中山道沿いにあった地元資本で運営されていた店舗で、百貨店というよりは小規模店舗の集合体と言った方が正しいのではないかと思います。6階フロアが一時期より全面ゲームセンターとなっており、土田晃之もその存在についてコメントしていたとかいないとか。

ただおおよそ北銀座のゲームセンターで所用を満たしていた私はここまで足を運んだことが無く、初めて足を踏み入れたのは2000年以降になってからでした。正直ここはノーマークでしたw

こちらも周辺の大型店同様、パチンコ店にフロアを転貸して生き延びていましたが、再開発計画により2017年に営業終了。現在は写真のように更地になり、跡地には複合ビルが建設されます。

 

④大宮駅ビル群(LUMINE1,2)

 今でこそLUMINEの中にゲームセンターが存在するという状況が考えにくいのですが、駅ビルがLUMINEに改称する以前、東口(LUMINE1)はOSB(大宮ステーションビルディング)→pino→KISS、西口(LUMINE2)はWeという名称で、それぞれビル上層階にゲームセンターが存在していました。

現LUMINE1の東口の店は全く記憶に残っていないのですが、LUMINE2の西口ははっきりと記憶にあり、5階フロアの現在の無地良品の場所がゲームセンターで、普通にビデオゲームも設置されていました。

 

⑤DOMショッピングセンター

新幹線開通後、大宮駅西口に最初に建設されたショッピングセンターで、キーテナントは丸井とダイエー

昭和57年オープンからゲームセンターは全く設置されていませんでしたが、最近になってダイエー側6階テナントとしてタイトーフランチャイズ出店した模様です。

 

⑥そごう大宮店

DOMショッピングセンターに遅れること5年の1987年にオープンしましたが私は大宮を離れており、帰省した際に初めて訪れることとなります。

当時は既にゲーメストの存在を認識しており、札幌のそごう内に集計店舗があったという実績があったため密かに期待していたのですが、オープン後に行ってみるとゲーム機の設置はあったものの、空いている空間に多少の機械が置かれていたゲームコーナー程度の規模でがっかりした記憶がwただ初代ダライアスが設置してあったことだけははっきりと覚えています。

 

4回に渡って尺を取り紹介しなければならない程、大宮という街はゲームセンターの数だけは非常に豊富な場所ではありましたが、ゲームファンやスコアラーにベクトルが向く店が殆ど存在しなかったこともあり、トピック的には非常に乏しいものとなってしまいます。80年代に特にナムコがプレイシティキャロットの1軒でも大宮市中心部に店舗を構えていれば、この界隈の歴史も随分と違っていたのではないか…とアルシェビルに今も灯るナムコロゴを見ながら恨めしく思うのです。

 

 その6へ続きます。