小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 惜別 ゲームプラザミッキー その2

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正面入口から入店した所。1階は大型筐体中心で、戦場の絆音ゲードライブゲーム、オンライン麻雀とシングルパチスロ機が設置してあります。90年代はパチスロ機の比率がもっと多かった記憶があります。

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入口左手の麻雀格闘俱楽部コーナー。休日のお昼前の来訪でしたが、サテライトは比較的埋まっていました。

ちなみに2階フロアにも麻雀系タイトルは分散して設置されています。

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2階に上がる階段途中から1階を眺めます。

ゲームタイトルや客層別に比較的上手くゾーニングして機械が配置されているのではないかと思います。

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階段踊り場から2階を眺めます。

90年代から2階は汎用ビデオゲーム中心に設置されていました。

1階は天井クロスが張り付けされていますが、2階は鉄骨の柱や梁が剥き出しになっているのが特徴的です。

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 店舗奥から階段方面を望む。

汎用ビデオゲーム中心と言っても、そこは時代の流れでガンダム・鉄拳シリーズが多数を占めています。90年代に比べると筐体サイズか大きくなったことから全体の設置台数は減少している反面、機器配置には余裕が感じられます。

奥にはサービス終了で役目を終えたボーダーブレイクの筐体が電源を落とされ佇んでいます。 

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店内奥の方には少数ですがブラウン管タイプの汎用筐体とオールドタイトルの稼働も残っています。

対戦格闘はともかく、シューティングなどは支持してプレイしてくれる客層がいないとなかなか継続して設置は出来ないと思われるので、オールドゲームファンとしては貴重な光景です。

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 シューティングの反対側は揃ってTGM系。複数あるのは固定層がいる証拠でしょうか。

奥に見えるスパイクアウトも客層は私の知る限りどこも微妙ですが、固定客が付いているのでしょう。これだけ長期に渡って稼働出来るタイトルは少なく、それだけ長く遊んでも飽きない証拠でもあります。

手前のマルチゲーム筐体は写真以外にも複数設置されていましたが、これについてはこれ以上の言及は避けておきます…

 

ところで、今回の写真を撮影したのが2019年9月22日で閉店の約2か月前。この日には店内どこを眺めても閉店を予感させるような光景は一切ありませんでした。

閉店を予感させる兆候としては、例えばゲームの入荷が極端に悪くなったり、スタッフの削減、店舗インフラに投資が及ばないことによる設備の老朽化等が考えられます。

しかしミッキーにおいては、

・フルラインアップとまでは行かないまでも、核となる商品はきちんと導入されており、むしろ最近は地雷が多かったオンラインタイプの高額機械にはあまり手を出していない。

・昔からプライズやメダルと言った「手の掛かる」機械は一切設置されておらず、結果として店舗スタッフもミニマムで対応している。(恐らく店舗オーナーの身内だけで運営していたと想定される)

・所々に古さが目立つ箇所はあれど、写真を見ればわかるように床が綺麗に磨き上げられており、業者による定期清掃が行われている形跡がある。また店舗外装についても看板や道路側のサインを新調したりと、店舗設備にもきちんと投資がされている。

そんな印象を持った私は、「消費増税が控えているとは言え直ぐに閉店ということは無さそう」という感想を持ち、最低限の写真だけを撮影して店を後にしたのでした。そのわずか1か月後に閉店の報を聞くとも知らず…

閉店する可能性を少しでも予見出来れば、もう少し入念に記録を残していたのでしょうが…それは結果論ですね。閉店はしないに越したことはありません。

 

それにしても、隣接して飲食施設はあり、近隣にはショッピングセンターやスーパー銭湯もあり、交通量も多い主要道に面した優秀な立地であるため、正直お金さえあれば自分で運営したいと思える場所でした。

誰が店舗の継続に名乗りを上げてくれないか、と思ったりもしたのですが、個人単位では規模が大きいため、どこかのオペレーターが引き受けるとかでないと継続は難しかったかもしれません。

 

先に紹介した岐阜のオアシスが閉店の可能性があるという噂を聞いて、オアシスを記録するついでに立ち寄ったミッキーでしたが、まさか先に閉店を迎えることになるとは思ってもいませんでした。非常に残念でなりません。9月最後の訪問の時にもあまり時間的な余裕が無く、直前まで立ち寄るかどうかを思慮していたのですが、今にして思えば何か「虫の知らせ」を受信していたのかもしれません。わずかではありますが記録として店舗の存在を残せたことで店舗への恩返しになればと思います。

ゲームセンター回顧録 惜別 ゲームプラザミッキー その1

「ミッキー」と聞くと、神田神保町の「ゲームコーナーミッキー」が余りにも有名なのですが、今回はそちらのミッキーではありません。

(かつて神保町界隈に頻繁に出入りしていた人間として、そちらはそちらでいずれ取りあげる機会はあると思いますが…)

今回取り上げる「ゲームプラザミッキー」の所在地は愛知県稲沢市。私が1990年代後半に就職で名古屋に戻った際、行動範囲内で発見し、以降たまに立ち寄る程度だったお店です。

その「ミッキー」が、2019年11月24日の営業を最後に閉店するとの報を受け、惜別としてこのエントリーをまとめることにしました。

稲沢市というと、JRは稲沢駅名鉄では国府宮駅が中心なのですが、市役所は駅から相当に離れた場所にあり、市役所前を走る県道(西尾張中央道)付近に駅前とは別に店舗が連綿している場所があります。

ミッキーはその店舗並びの中のひとつで、20年前にはまだ珍しかったスーパー銭湯が付近にあったことから、風呂に行くついでに立ち寄るようになったことが出入りするきっかけでした。

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2019年9月22日撮影

県道沿いには写真の看板が掲出されていますが、車の流れが速いため場所を意識していないと通り過ぎてしまうかもしれません。店舗に隣接するパチスロ店や、店舗裏手に構えるヨシヅヤショッピングセンターを目安にすると発見しやすい場所でした。

また県道は中央分離帯のある4車線道路のため、一宮、岐阜方面へ向かう下り車線からは直接入れますが、津島、蟹江方面の上り線は手前信号からヨシヅヤの駐車場敷地を通って入る必要がありました。

敷地内にはココ壱番屋やスパゲッティ店もあり、ゲーム中の給食環境も充実していました。

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店舗正面外観。郊外店で車でないとアクセスしずらい場所のため当初から駐車場は確保されています。店舗は2階建てで、屋上の台形状の看板で控えめにアピールしています。

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店舗正面に対して裏手側にも入口及び駐車場があります。スパゲッティ店は同一建屋となっています。自分は不思議とこちら側の駐車場ばかりに車を停めていた記憶が。

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正面入口に戻ります。完全に色褪せた上に一部もげている「GAME」の文字や外観から感じられる古さは否めませんが、店名看板と入口ビニール屋根は新調されています。

 

次回は店内の光景を紹介します。

その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その8

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現在は建屋①~⑥までとなっているオアシスですが、かつてはそれ以外にも営業していた場所がありました。

【建屋⑦】

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オアシス建屋①正面駐車場の真反対に、現在は焼肉店となっている建屋が有りますが、以前はここもオアシスでした。私が仕事帰りに立ち寄っていた1990年代後半には既に存在しており、その当時はガソリンスタンドやパチンコ店はまだオアシスになる前だったため、最初に拡張された場所と言えそうです。

1階が駐車場、2階が店舗という構造は変わりませんが、オアシス時代は、写真のフェンスの場所がオープン構造で店名看板がある壁面がなく、自販機が数台設置されていたと記憶しています。

店内は普通にゲーム機が稼働していましたが、その中にピンボールが数台設置されていたことは確かです。メンテが非常に悪くまともにプレイできませんでしたが…

また、駐車場と道路を挟んでいたためか、後年の拡張のように増築で無理矢理既存店舗と接続することもされていませんでした。

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【建屋⑧】

こちらは国道バイパスを挟んで反対の上り線側、写真のマッサージ店の建屋がオアシスでした。

同じオアシスとは言え、片側3車線の国道バイパス道路を挟んでおり中央分離帯にはフェンスが張られ、また横断歩道や歩道橋も存在しないことから実質完全な別店舗。ついでに覗きに行ける場所ではなかったため結局こちらには一度も入店せず仕舞で、雰囲気や設置機種については全く不明です。

 

また、国道21号を東に進んだ隣の各務原市にもオアシスの別店舗がありましたが、こちらも既に閉店しておりオアシスの名前を冠しているのは岐南町の本店だけとなって現在に至っています。

 

【オアシスの興亡】

オアシス(岐南各務原)、ゲームプラザ童里夢(ドリーム)、だいおう、アイリン夢空間、岐阜レジャーランド穂積、そして少し外れてAGグランド、ファンタジアン柳津…

私が思い付く限りでこれだけのゲームセンターがひしめき合い、その多くが24時間営業を行っていた国道21号沿線。その最盛期は恐らくオアシスが周辺の閉店店舗を買収してゲーム設置面積を増やしていった2000年代前半ではないかと思われます。

では、何故オアシスを代表としてこのエリアのゲームセンターがここまで拡大を続けたのか。大きく3つの理由があると考えています。

 

①設置ゲーム機の大型化

音ゲーブームあたりから、既に汎用型ビデオゲームは衰退期を迎え、専用大型筐体への製品シフトが始まっていましたが、特にダービーオーナーズクラブから始まったサテライトタイプ大型筐体の収益が高まって以降、機械を設置する広い敷地面積の必要性から周辺閉店店舗の跡地買収と建屋増築、既存建屋の業態変更まで行って対応したのがオアシスと言えそうです。

他の店舗も大型筐体は導入しているとはいえ、オアシスのように半ば強引に店舗面積の拡張まで出来なかったことから、面積を広げることで大抵のゲーム機が設置されたオアシスはそれがアドバンテージとなる一方、周辺他店はバーチャファイター勢の聖地(だいおう)や、スコアラー御用達(アイリン夢空間)になることで店舗の個性化が進んでいきました。

 

風営法解釈の甘さ

ゲームセンターは許可営業制であり、一部を除いては風俗営業法(風俗営業取締法→風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に規定された範囲で営業する必要があります。詳細は省きますが、その中には営業時間に関する規定があり、一般的な地域では午前0時以降の営業は出来ないため、24時間営業のゲームセンターというのは本来なら存在しないはずです。

ただ、法律の具体的運用については各県警の生活安全課に委ねられている面があり、地域によっては店舗の一部を閉めたり、営業する機種を限定して深夜時間帯や24時間営業を行うことが可能な場合があります。

どうも岐阜県は県警の運用方針が比較的甘かったようで、郊外店においては複合娯楽施設やドライブインの体裁で、店舗の一部を24時で締め切りにすることで24時間営業を行う店舗が比較的多く存在していたため、1990年代頃から「岐阜は深夜でもゲームを遊ぶことが出来る場所」という認知が広まっていたことは確かです。

 

③愛知県からのプレイヤー流入

各務原ー岐阜ー穂積ー大垣という街の並びで人口は約80万人程度。交通量の多い主要国道沿いとは言えそこまで多数のゲームセンターが林立可能な市場なのか?とも思えますが、木曽川を渡れば直ぐの愛知県は岐阜県程規制が緩くなく、0時以降もゲームが出来る店は多くなかったことから、特に深夜帯は愛知県からかなりのプレイヤー流入があったのは確実です。

名古屋市まで全て片側3車線で整備されている国道22号を使用すれは深夜ならおおよそ1時間以内で到達可能な距離のため、以前から知っている人は夜な夜な岐阜までゲームをするため車を走らせたりしていたようですが、特に麻雀格闘俱楽部がブームになってからは長時間プレイしたい層が台確保のため深夜だけではなく昼間から岐阜を目指していた状況もあったようで、岐阜県に入って最初に現れるオアシス本店はもっともその恩恵を受けていたのではないかと想像されます。

 

ただ、栄華を極めた岐阜のゲームセンター群も2005年に突如と逆風にさらされることとなります。そのきっかけは「愛知万博」の開催。

 

国際的なイベントが開催される際には、「来日客のイメージ向上」や「治安維持」を目的とした規制強化が行われることがままありますが、愛知万博実施の際も同様でした。

ゲームセンター業界においては、愛知県内にも少数存在していた深夜営業店舗が相当に規制の対象となり、24時にて閉店を余儀なくされる状況が発生。

その余波が岐阜県にも飛び火した結果、それまでなし崩し的に実施されていた24時間営業を中止する店舗が続出し、大きなウエイトを占めていた深夜営業における売上を一気に失うこととなります。

それ以降、店舗がひしめき合っていた岐阜地域からぽつぽつとゲームセンター閉店の報を聞くようになり、ソーシャルゲームの台頭によるアーケードゲーム業界の凋落で店舗の縮小が加速して現在に至ります。

 

現在聞き及んでいる情報で、国道21号沿いに残ったゲームセンターはオアシス本店と岐阜レジャーランド穂積のみの様です。そして消費税増税の影響が表れている昨今、突然に閉店予告を出す店が続出しており、営業面積の縮小や廃棄機材の放置状況などでわかるようにオアシスも決して安泰ではないと思います。文化財的価値すらあると思われるこの店舗を今のうちに是非一度目に留めて頂ければと思います。

 

特にゲームセンターは閉店後本当に跡形もなくなる場合が多いので…

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その7

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【建屋外周】

建屋②、③の外周部は既に紹介しているので、その6で垣間見えた建屋④~⑥の外周部を観察します。

f:id:annaka-haruna:20190922122433j:plain写真(54)

正面メイン駐車場に立つ案内ポールで、背後に建屋⑥が見えます。

裏側へ廻ってみます。

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写真(55)

建屋⑥の外観はこのような形状。建屋内を無理矢理二層にしていたことからもわかるように、天井は高く、大きく突き出した屋根とその上に設置してあるネオン及びUFOのサインでバイパス側にアピールしています。

店舗内からも確認出来ましたが、建屋の周りには塗料缶が大量に…建屋の補修や塗装は自前で行っているのでしょうか。

そしてこの屋根の張り出した建屋の形状、なにか見覚えがありますよね。

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写真(56)

張り出した屋根部分を見上げてみると、右側隅に「ESSO」の文字を消した跡がはっきりと。

この建屋は元々はガソリンスタンドで、跡地をオアシスが使用していることで間違いないとの情報を頂きました。ありがとうございます。

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写真(57)

元ガソリンスタンド事務所部分と思われる建屋が左側で、右側は建屋④となります。左側はコナミ音楽ゲームが主に設置してあった場所で、建屋④は窓と扉の配置から艦これアーケードがある場所で間違いないようです。

そして写真55~57を改めて眺めて気付いたのですが…もとガソリンスタンドとなると給油スペースがあったはずなのですが、写真57のあたりに多少は場所があるものの給油車両を取りまわすのに充分な広さとは言えず、そして何より屋根の下に給油機が設置されているのが普通です。

つまり、もともと給油スペースとして屋根だけが存在していたものを、その四方に無理矢理壁を作成し建屋としたものが建屋⑥であるということを、今回このブログをまとめることで初めて気づきました。DDRクイズマジックアカデミーが設置されていた不自然な二階建て部分、もとは給油スペースだったんですね…

閉店したガソリンスタンドの再利用として、屋根の部分はそのまま残して駐車スペースにしたりしているのは良く見かけますが、壁面を作って建屋にしているという例は聞いたことが有りません。法律的に問題はないのか気になります。

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写真(58)

写真(57)でも見え隠れしていましたが、建屋④の前には大量の汎用筐体廃棄部材が積み重ねてあり、ここだけ見るととても営業している店舗の光景には見えません。丁度建屋⑥の陰に隠れる形となり、出入口も無いので人目には付きにくいですが…

汎用筐体も時間の経過で年々その数を減らし、特にブラウン管の修理が難しくなりつつあることから、スクラップ品から使用できる部品だけを取り出して後は廃棄しているのでしょうか。さすがにゲーム基板は捨てられていませんでした。

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写真(59)

そして最後に残った建屋⑤の外観。見ての通りに元パチンコ店そのままです。パチンコ店跡地がそのままゲームセンターになる光景は時折見られますが、わざわざ接続用の建屋④を造り、壁を抜いてまで既存店舗と接続して営業するという光景はあまり見られないのではないでしょうか。

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写真(60)

外装はパチンコ店時代をほぼそのままに、「GAME」と「オアシス」の文字だけを追加するという最低限の対応で済まされています。外装の一部に赤く塗りつぶしている箇所がありますが、これは画像の加工ではなく、元店名等が記載されていたものを隠しているように思われます。

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写真(61)

元々は独立している店舗のため当然入口はありますが、そこにはご覧のような張り紙がされた上で閉鎖されています。他の入口といっても実質建屋①の入口まで戻らなければなりません。

残念ながらネコとは和解出来なかった模様です。

 

これで現在も営業が続いている部分については全て網羅しました。

ゲーム機の設置面積を増やすために形振り構わず店舗を拡張してきた歴史と現状が多少なりとも伝われば幸いです。

そして地図には建屋⑦及び⑧を記載していますが、実は以前にオアシスだった場所が更に存在していました。最後にその建屋の紹介と、岐阜のゲームセンターが何故このような発展を遂げたのかについて触れたいと思います。

 

その8へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その6

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【建屋⑥】

建屋①の入口を入って左側が建屋②及び③、正面に進むと建屋①を経由して建屋④、⑤へ至りますが、右側に面しているのが最後に紹介する建屋⑥となります。

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写真(45)

建屋①写真(5)の場所から180度反対側を見ると、入口付近に展開されるプライズゲーム機と、音楽ゲーム群が配置されています。この写真は入口から少し奥に入った場所から建屋⑥を眺めています。

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写真(46)

写真(45)の位置から角度を変えて建屋⑥を眺めます。奥に階段が見えますね。

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写真(47)

建屋⑥から建屋①の入口を向いた写真を撮影しておらず、奥に少し入った音ゲーコーナーから撮影したもの。太鼓の達人の右方向が建屋①の入口になります。この場所は丁度、建屋①写真(9)のサービスカウンターの真裏に当たります。

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写真(48)

写真(47)の隣の通路部分。右側が建屋⑥になります。通路真ん中に堂々と置いてあるファンが目立ちます。

地図を見ると建屋①と⑥の間に小さな建屋が有りますが、写真(45)~(48)の音ゲーエリアがそこに該当するようです。建屋①と⑤を繋ぐ建屋④と同様に、①と⑥を繋ぐための建屋と思われます。

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写真(49)

「Let's Try」のネオンサインの先が建屋⑥。足を踏み入れると写真(46)の階段がいきなり立ちはだかります。この建屋は天井か高く、その高さを有効に使うため木製の床と階段を設けて無理矢理2段構造にして使用されています。

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写真(50/51)

建屋⑥の実質1階部分。階段を挟んで左側のメインがクイズマジックアカデミー、右側がDDR、そしてその他は型落ちした大型筐体と小型のプライズ機。2階部分の木の梁が迫り、もの凄く圧迫感があります。

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写真(52)

そして階段上部に目を向けますが…そこはもぬけの殻で機械は何も設置されていません。写真では見えませんが階段途中にチェーンが渡してあり、2階部分は入場禁止になっています。

以前はこの2階のスペースにも機械が置いてあり、以前ここでMJをプレイした記憶があるので最近になって機械を撤去している模様。

この場所に無理に機械を設置する必要が無くなったのかもしれませんが、木製の梁がむき出しでボルト止めしてあるだけの構造を見ると、2階にあまり重量のある機械があると床が抜けて落ちてくるのではないかと心配になります。

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写真(53)

建屋⑥に外への扉が有りますが、締切の張り紙が。そして外側にはこれまた不穏な状況が見え隠れしていますが、その状況を含めて次回は建屋外部の光景をご紹介したく思います。

 

その7へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その5

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【建屋④、⑤】

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写真(32)

もともとゲーム機が設置されていた建屋①の後方に、不自然なスロープがあって更にフロアが奥に続いていますが、このスロープの先が建屋④及び⑤となります。スロープの先にはネットワークタイプの筐体や一部汎用ビデオゲーム筐体の姿が見えます。

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写真(33)

スロープ部分を横から眺めます。結構な落差があります。

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写真(34)

建屋④部分へ入り、建屋①方向を眺めます。

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写真(35)

写真(34)の位置から向きを変えると建屋④全体が見通せます。

このエリアはオンライン系ゲームでほぼ統一されているようです。

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写真(36)

建屋は東側に張り出しており、張り出した部分は実質艦これアーケードコーナー。ここだけ周囲と雰囲気が違う…

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写真(37)

そして建屋④の更に先には建屋⑤が連続しています。建屋④から⑤を眺めますが、床高さは揃っているものの天井高さや造作が異なっていることが写真からご理解頂けると思います。

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写真(38)

建屋⑤へ足を踏み入れます。

建屋①の入口からも相当離れたこの建屋内に設置されているゲーム機は少なく、スカスカの空間が広がっています。

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写真(39)

この建屋に設置されている機械はまずガンダム戦場の絆。ドームの背面丸出しってあまり見かけないですよね。

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写真(40)

そしてスターホースの2と4。この店舗に他にメダルゲームは設置されていません。ファミリーが来店してメダルゲームに興ずるような店舗ではないことは確かです。

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写真(41)

空いた空間には戦場の絆の未稼働筐体が。解体されている筐体は初めて見ました。このゲームデビュー当時の盛況を知っている人間からすると目を疑う光景ですが、既に登場から10年以上経過しているのでよくここまで持っているというべきでしょうか。

また50円ビデオゲームコーナー移設のPOPが張り付けてあるので、以前はこの空いている場所に設置されていたのでしょう。

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写真(41/42)

そして空いている空間には機械の廃材が放置され、役目を終えた筐体が無造作に並べられています。場所を持て余し実質倉庫同然な状況です。

f:id:annaka-haruna:20190922123333j:plain写真(43)

建屋⑤側にも出入口が有ります。

窓ガラス部分の装飾を見て、この建屋の元の使途がなんとなくお分かり頂けることと思います。

f:id:annaka-haruna:20190922123508j:plain写真(44)

建屋④と⑤の接続部分。建屋⑤の壁を抜いて、建屋④の柱と梁を繋げていることが分かります。

 

その6へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その4

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【建屋③】

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写真(22)

建屋③は店舗裏手駐車場前に展開されており、こちらの小さな建屋と隣接する長屋状のカラオケルームとなっています。

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写真(23)

地図上では建屋②と③の間には水路が記載されていますが、現場はご覧の通りでなにもありません。暗渠なのか埋め立てられたのか。

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写真(24)

建屋③自体もカラオケルームになっており、受付は通り抜けて写真(19)のカウンターで対応するようです。昔はこの建屋にカラオケ専用の受付が存在していたのでしょうか。

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写真(25)

店舗裏手駐車場に面するカラオケルーム長屋部分。昼間から声が漏れていたりするので需要はありそうです。

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写真(26)

建屋②に戻って裏手駐車場から眺めます。ガラス張りの場所は以前はレストラン店内が見えていたのでしょうか。

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写真(27)

裏手側にもレストラン入口がありましたが、現在は使われている雰囲気が感じられません。

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写真(28)

建屋①の写真(5)の位置へと戻ります。2階に展開されているオンライン麻雀コーナーへの階段を昇ります。

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写真(29)

コーナー入口には”mahjong”のネオンが輝いていますが、良く見て頂ければわかるように梁に対して下向きに取り付けられており、ちょっと不自然。

階下から目立つようにとの配慮でしょうか。

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写真(30)

コーナー内を入口側から望む。麻雀格闘俱楽部とMJのみが設置されています。タイルカーペットを敷き詰めて雰囲気を出しています。

ちなみにオンライン麻雀はここだけではなく、建屋①1階にも設置はされています。

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写真(31)

コーナー奥から入口側を望む。

麻雀格闘俱楽部筐体右端の陰にラティスが見えますが、これが簡易扉となっており、扉の先にはトイレがあります。そしてトイレのさらに先にはマンガ喫茶のコーナーが…

その光景を見て初めて「麻雀コーナーは建屋②の2階一部を潰して設けられており、階段はこのコーナーの為に建屋の壁を抜いて後から外付けしたものである」と理解しました。

思い返せば1990年代には外付け階段があったような記憶はありません。入口のネオンサインの不自然な取り付け方も、後付けと分かれば納得がいきます。

 

ここまでの建屋①~③が、オープン当初から営業に供されていた部分ではないか思われます。ここまででも建屋各所に手が加えられており十分カオスな光景ですが、真骨頂はこれから紹介する増床部分となります。

 

その5へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その3

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【建屋②】

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写真(11)

建屋①に対して垂直に隣接しており、ドライブインの飲食部分を担っています。

看板を見ての通り、2階はマンガ喫茶及びインターネットカフェ、3階にダーツ及びビリヤード台が設置されています。2階及び3階は写真だけ撮影する訳にもいかないので説明は割愛します。

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写真(12)

建屋入口です。元々は建屋1階はレストランとして営業しており、その名残が入口以外にもあちこちに残っています。

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写真(13)

入口横には既にプライズ機と「50円コーナー」のPOPが。

90年代にはこちらにゲーム機が設置されていた記憶がないので、レストラン部分の営業を中止して現在の姿となったのでしょう。

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写真(14)

写真(12)の入口を入った所。2階、3階への階段があります。

元はエントランスであろうタイル張りの場所にもゲーム機が設置されています。

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写真(15)

タイル張りエリアにコンビニキャッチャー2が設置されていますが、中身がすっからかん…建屋①の入口もそうですが外から見える場所のプライズ機程アピールをしていないという状況。

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写真(16)

プライズ機の奥には汎用ビデオゲームのエリアが展開されています。

元々はレストラン客席エリアだったのでしょう。

既にコンパネが付いていない筐体の姿が見えます。

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写真(17)

汎用ビデオゲームコーナーは型落ちした定番対戦及びパズルゲームが中心で、新しめのタイトルは設置されていません。

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写真(18)

ビデオゲームコーナーを反対側入口から眺める。

木枠と扉はレストランからゲーム機設置に変更した際に仕切りとして設けられたと思われます。24時で閉めてるんですかね…

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写真(19/20)

写真(14)のエントランス部から正面の眺め。PCタイプのオンラインゲームが設置されています。その隣はカウンターとなっており、カウンター奥には反対側のビデオゲームコーナーが見えます。

恐らく昔はカウンター部分が厨房になっており、その周りを囲むようにレストランの客席があったと想像できます。

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写真(21)

写真(17)の反対側、もしくは写真(20)のカウンター前を通り抜けると、反対側の出入り口となり、建屋③を通り抜けて店舗裏手の駐車場へ出ることが出来ます。

 

その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その2

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オアシスは現在でも単独でかなり広い敷地を有しているため、マップ上でも建物の配置をある程度認識することが出来ます。

また、最盛期である2000年代前半位まで、まるで温泉旅館が建て増しをするかの如くゲームの設置面積を増やしてきた経緯があり、私が初めてここの存在を知った1995年付近からも大きくその姿を変貌させているため、分かり易くするために地図上の建屋に番号を付け、その変化の歴史と共に記していくことにしました。

 (写真は全て2019年9月22日撮影)

 

【建屋①】 

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写真(1)

国道バイパス側駐車場に面した言わば「お店の正面」であり、恐らく最初からゲーム機が設置してあったであろうスペースです。

入口付近には自販機とプライズ機が設置してありますが、自販機側の軒先は写真のように看板が破壊されたままで放置されており、建屋の古さと相まって場末感を漂わせています。

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写真(2)

入口に設定されているプライズ機群。店の顔の部分ですが景品が入っていないブースすらあり、アイキャッチで集客しようなどという意図は全く感じられません。

おや、奥に見えているキャラは…

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写真(3)

年齢が40代後半を超えた方ならご存じの、タイムギャルタイトー)主人公レイカさんです。一時タイトー全社でこのキャラ推していた時期もありましたねえ…

元々はタイトーの影響が強かったんでしょうか。

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写真(4)

入店して入口付近を店舗内から見た光景。

一般的ゲームセンター同様にプライズ機中心で設置してありますが、外置きの機械よりはましとは言え陳列は全体的にあまりやる気が感じられません。

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写真(5)

入口正面から左手を見る。②、③の建屋へ連絡しています。

照明器具がゲームセンターのそれではありません。

2階へ上がる階段があり、上はオンライン麻雀コーナーとなっています。 

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写真(6)

写真(5)の位置から少し奥へ入ると、手前に大型専用筐体、そしてバンナム系のガンダム・鉄拳という「今基板ものアーケードで稼げるタイトルはこれしかない」というラインアップが並んでいます。

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写真(7)

ガンダム・鉄拳のエリアを抜けると奥はパチスロの島。ドライブイン型店舗では見慣れた光景。

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写真(8)

パチスロコーナー脇には、写真(5)の通路へ抜けられる扉があります。昔は24時間営業のエリアを仕切るために使用されていたと思いますが、現在は制約がないのか開放されているようです。

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写真(9)

写真(6)の位置からさらに奥に入った場所から入口方向を眺めます。左側がサービスカウンター。

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写真(10)

写真(9)の位置から逆方向を眺めると、スロープが有って店舗はさらに奥へと続いています。昔はスロープから先はなく、この先は後から建て増しした部分。店内から見る分にはそれほど違和感はありませんが…建て増しエリアの紹介はまた後程。

 

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その1

岐阜県は、最初の仕事で担当になった場所で、1995~1998年位まで県全域を這いずり廻っていた時期があります。

その際に休憩も兼ねてあちこちのゲームセンターに立ち寄ったりしており、いずれ岐阜県単独の回顧録も書きたいと思っているのですが、その中でである意味岐阜のゲームセンターを象徴する店舗に先日立ち寄る機会があったため、単独で記事にまとめることにしました。

まだ現役のお店のため、「回顧録」とか言うと怒られてしまうかもしれませんが…

 

名古屋と岐阜を結ぶ名岐道路(国道22号)を北上、木曽川を渡って岐阜県に入ってすぐに、岐南インターという大きな交差点があります。

国道22号はここが終点。そのまま直進すると国道156号で、世界遺産にもなった白川郷を通って最後は富山県の高岡へ至る道。交差する道路は中山道の一部である国道21号で、岐阜市大垣市を通っていることから岐大道路とも呼ばれています。

この岐南インターの北西角地に店を構えているのが今回取り上げるオアシス。その外観はゲームセンターというよりもドライブインで、場所柄ドライブインとしてスタートしたものの、時代の変遷で徐々にゲームの割合が増えていったのではないかと想像出来ます。

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2019年9月22日撮影

国道に面した正面入口はこんな出で立ち。マンガ喫茶やカラオケも併設されており、まさにドライブインそのものです。

冒頭、「岐阜のゲームセンターを象徴する店舗」と記載しましたが、交通量が多いことから特にこの岐大道路沿いに最盛期は多数のゲームセンターが立地しておりました。

そのゲームセンター群はドライブイン由来と思しき影響か24時間営業を行っていた店舗が多く、その中でもオアシスが最も歴史が古いと思われることから象徴という表現を使用しましたが、その歴史的経緯と並んでオアシス店内にはとてつもなくカオスな光景が展開されており、「全盛期の岐阜の状況を伝える生き字引」としてまだ営業が続いている今こそ記録に残し、可能な範囲でここに紹介をしたいと思います。

 

その2へ続きます。